田 丸 稲 之 衛 門(1805-65)

 幕末の水戸藩士。山国共綿(弥左衛門)の子で田丸直諒の養子となる。名は直充。天保14年(1843)家督を相続して書院番組頭となり、目付をへて町奉行に昇進。元治元年(1864)、藤田小四郎らと攘夷実現のため筑波山に挙兵、その時総帥となる。 しかし、戦い利あらず、武田耕雲斎藤田小四郎らと尊攘の素志を朝廷に訴えるため8百人余京都へ 上ろうとしたが果せず、越前新保で加賀藩に降り、翌年2月、敦賀で斬首された。


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