藤 田 小 四 郎 (1842-65)

 幕末の水戸藩士。藤田東湖の四男。幼児より父の薫酔を受け、のち江戸・京都に出て尊攘運動に奔走。文久3年には長州藩の桂小五郎らと東西呼応しての挙兵をはかったが果た せなかった。 そこで元治元年(1864)3月、同志を募り、筑波山に挙兵。しかし、戦い利あらず、武田耕雲斎ら千人余とともに尊攘の素志を朝廷に訴えるため京都へ向かう途中、同志とともに越前の新保で加賀藩に降る。 翌慶応元年2月、敦賀の海岸で刑死。24歳。墓は敦賀市と水戸市の常盤共有墓地にある。


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