茨城大学図書館ブログ「きざし」(2009年8月)


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本学図書館の広報活動を研究会で発表しました[2009年8月28日]

8月23日(日)、本学図書館の職員が大学図書館問題研究会第40回全国大会・広報分科会で本学図書館の広報活動について発表を行いました。図書館キャラクター「わらづと君」や広報誌「階」を用いた積極的な展開は参加者の興味を引いたようで、発表後は活発な質疑や意見交換が持たれました。

*大学図書館問題研究会(略称:大図研=だいとけん)は、1970年に誕生した現場の図書館員を中心とする自主的・実践的な研究団体です。(同団体HPより

大学図書館問題研究会発表会

盗難にご用心![2009年8月24日]

カバンを置いたまま席を空けている人がいますね。おまけにカバンの口が開けっぱなしになっています。防犯カメラや職員の見回りがあるとはいえ、ここまで無警戒では困ります。貴重品は必ず持ち歩きましょう。

それから最後の写真の人、図書館のコンセントから携帯電話に充電してはいけません!

放置カバン 放置カバン 放置カバンと盗電

思ひ出写真館 その6[2009年8月20日]

創立期の学部の窓口のように見えます。事務室側から撮影しているわけですが、右上のカレンダー(ヒラノ百貨店)によりますと、昭和27年2月某日のようです。正面の小窓の前には「教務掛」の文字。手前右側の男性職員はつけペン(先端にインクを付けながら書くペン)で書き物をしています(写真クリックで拡大)。

事務室の写真

図書館がめざすもの[2009年8月20日]

1枚のプレートをご紹介します。そこには図書館の「理念」と「目標」が記されています。 プレートの「目標」に向かって、館長以下職員が毎日努力を積み重ねています。(このプレートは本館の玄関に掲げられています。)

図書館プレート

図書館職員による授業[2009年8月20日]

8月10~11日、大学院共通科目「学術情報リテラシー」の授業が行われました。約40名の大学院生に、電子ジャーナルの利用法など学術情報の収集・利用に必要な知識や技術を学んでいただきました。 この授業は、担当の小野寺淳教授(図書館副館長)の指導のもと、図書館の司書たちが分担してテキストや小テストを作成するとともに講師をつとめさせていただいたものです。事務系職員が中心となって正規の授業を行うのは茨城大学で初めてですが、全国的にみても稀なケースです。

授業風景

パソコンも夏バテ?[2009年8月20日]

このブログ「人気者はツライ?[2009年7月13日]」で登場したパソコンです。休みなしで使っていただいている図書館本館のパソコン32台は、もちろん夏休み中もフル稼働です。水戸キャンパスでほかにパソコンが使えるのは理学部B棟英語学習室だけということもあって、今(8月17日14時現在)もレポート作成のために学生が並んで待っています。

パソコンの写真

基「本」のルール[2009年8月11日]

図書館本館の玄関ホールに、返却期限を過ぎて1カ月以上経っても本を返さない学生のリストが掲示されています。 もちろん、本人にはペナルティが課せられ、遅れた日数分あらたに借りることはできません。しかし、困るのは本人よりもむしろ他の利用者であり、また、図書館の職員です。 電話や手紙で督促しても、なかなか返していただけないことがあります。一部の身勝手な人のために貴重な資産が失われることは、大学にとって大きな損失です。「借りた本は期限までに返す」・・ルールを守ってご利用ください。

延滞者リスト

千波湖を歩いて渡る?[2009年8月10日]

江戸時代の千波湖が、現在の約3倍の大きさだったことはいくらか知られています。でも、そこを歩いて渡る道があったことは…?

その道「新道」は慶安4(1651)年につくられ、上市と下市の人々が行き交っていました。200年以上にわたって1km以上の道があったのです。水戸光圀が「柳堤」と名付けたとおり、そこには柳が植えられ、ちょっとした風情があったとか。(「水戸の城下町マップ」より)


西洋の貴重書もございます[2009年8月7日]

当館の数少ない洋書の貴重資料です。「Aristoteris Organon: アリストテレスの論理学」。この本が出版されたのは1577年です。日本では同年に織田信長が安土城下に楽市を置いています。西洋では、1543年にコペルニクスが地動説を唱え、1595年にシェークスピアの「ロミオとジュリエット」が初演されたと言われています。(菅文庫室、131//8)

アリストテレスの論理学

男性と話してはいけません[2009年8月6日]

明治5(1872)年8月に学制が公布されました。今回ご紹介する資料は明治11年に茨城県令から布達された「茨城師範学校学則」です。言うまでもなく茨城県師範学校は、茨城大学教育学部の前身です。 学則中の「女子師範生徒心得」には次のように書かれています。(意訳)『定刻に校外を散歩するときも校内と同様に3名以上同行し、途中で知人に会っても女性以外とは話してはならない。』

この資料は、本ブログの「入学時にはタマゴ三個 [2009年7月3日]」と同じく、清水恒太郎氏寄贈資料(菅文庫室)です。


教育学部の最新論文がWebで読めます[2009年8月6日]

茨城大学教育学部紀要第58号に収載された論文54本を、「ROSEリポジトリいばらき」に登録しました。さまざまな研究領域で活躍されている教育学部の先生方が書いた、最新の論文です。何となく眺めているだけでも面白いものが見つかるかもしれません。ぜひご覧ください。

閲覧方法
リポジトリトップページの「一覧表示」から、「教育学部」をクリックしてください。教育学部紀要の一覧が出てきます。お好きな分野を選び、クリックすると、その分野の論文が一覧表示されます。論文のタイトルをクリックすると、論文の情報が表示されますので、その画面内にある「登録ファイル」へのリンク(見る/開く)をクリックすれば、本文が閲覧できます。


思ひ出写真館 その5[2009年8月3日]

初代学長です。昭和24年6月29日に、東京工業専門学校長であった鈴木亰平氏が初代茨城大学長に補せられました。本学1回生の屋口正一氏によれば鈴木学長は「学者風でもなく官僚風でもなく、豊かな体躯で親しみやすい人柄で、強いて言えば実業経済人に近かったかもしれない。学生とも気軽に話をし、耳を傾け目を配るタイプだった。新聞局時代の縁故(屋口氏は当時「茨城大学新聞」の編集担当だった)で、一卒業生の私に卒業後5年経ってからなお、結婚祝いにネクタイを贈ってくれる程の義理固い方であった。」ということです。

2枚目の写真は、第1回入学式で挨拶をする学長です。この入学式は今頃の季節、昭和24年7月22日に野外の炎天下で行われました。講堂もなく、施設のほとんどは旧兵舎を流用したものでしたが、この日希望に燃えた656名の学生が入学しました。

初代学長の肖像入学式での初代学長
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