会 沢 正 志 斎 (1782-1863)

 水戸藩士。水戸学者。名は安(やすし)、字は伯民(はくみん)、通称は恒蔵(つねぞう)、正志斎はその号。

 十歳で藤田幽谷の門に学ぶ。寛政11年(1799)彰考館(『大日本史』編集局)に入って、修史事業に従事。文政8年(1825)幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与え、『新論』を著す。9代藩主徳川斉昭が推進した天保改革に、藤田東湖らとともに尽力。郡奉行・御用調役・彰考館総裁を歴任。 天保11年(1840)、藩校弘道館の初代教授頭となったが、弘化元年(1844)斉昭の失脚に際し罰せられて退く。のち弘道館教授に復す。安政年間(1854-59)の攘夷派の分裂では鎮派の重鎮として活躍。著書は『新論』のほか、『下学述言』(かがくじげん)、『迪彜編』(てきいへん)など多数。


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