徳 川 斉 昭(なりあき)(1800-1860)

 第九代藩主。子は子信(ししん)、号は景山(けいざん)また潜竜閣(せんりゅかく)文政12年(1829)家督を継ぐ。時に30歳。就任早くから藩政の改革に着手。初代頼房時代の寛永検地以来行われていなかつた全領検地を実施し、助川村(日立市)に海防のための砦を築いて外国船の侵入に備え、藩校弘道館を城内三の丸に開設、さらに寺社改革を行った。 弘化元年(1844)5月、幕府から致仕・謹慎を命ぜられる。嘉永6年(1853)幕府の海防参与となったが、安政元年(1854) 辞任。同年、幕府の軍制参与に任ぜられたが、同4年7月これも辞任。この間、水戸藩の安政改革を推進して成果をあげた。しかし将軍家定の継嗣問題と日米修好通商条約調印問題をめぐって井伊大老と対立、同5年7月、幕府から隠居慎を命じられ、翌年、安政の大獄の拡大に伴い、水戸城に永蟄居を命ぜられたまま、万延元年(1860)8月、城中で急死。61歳。烈公と諡された。


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