『狭衣物語』解説
  田口 守

 本書は題簽、内題ともに「狭衣」。巻第一之上、同下、巻第二之上、同下、巻第三之上、同下、巻第四之上、同下の4巻8冊の古活字本である。巻第四之下の奥に「元和九年五月中旬 心也開版」とあり、流布本系を代表する「狭衣物語」版本最古の元和九年(1622)古活字12行本であると知れる。なお奥に、「安永五年十月五日 一本校合畢 須賀直見」の識語があり、本文にも校合の跡が見える。
 第二之下32葉目の次に1葉の落丁があり「落丁補」として1葉分補筆挿入している。今『日本古典文学大系・狭衣物語』(岩波書店刊)によって備忘的にその場所を指示しておくと、195ページ7行目「わが思ひ砕きつる筋は」の次から196ページ9行目「きたるを、院は」の前まで。
 『狭衣物語』の諸本は『国書総目録』が七十余伝本を掲げているが、実際には百数十本現存するとも言われている。それらの系統図を描くことは難事業であり、大まかな分類の試みがないわけではないが、必ずしも成功しているとはいえない。そうした中で本書の元和九年版古活字本は流布本の頂点に立ち、現在のところ最良質の本文を伝えるとも見られ、その資料的価値は極めて高い。
 ところで、安永五年(1776)に須賀直見が校合に用いた一本はいかなる伝本であったか。同じ元和九年版古活字本を底本とした『校本狭衣物語』(田中剛直編・桜楓社刊)の「校異」によって調べると、断定は出来ないが、承応三年(1654)整版本に近い本文を持ったものと言えそうである。今、本書巻第一之上の最初の10葉中に「イ」あるいは「イニ」として示された箇所を列挙して承応三年整版本との異同を調べると、次のようになる。−○は一致、−×は不一致を示す。( )内が「イ」あるいは「イニ」として示された本文である。

第1葉異同ナシ
第2葉ウラ2行目めしおきて(「て」イニナシ)−○
12行目身をも(「も」イニナシ)−○
第3葉ウラ1行目わたりを(わたりに)−○
第4葉ウラ9行目月のひかり(月日のひかり)−○
第5葉オモテ4行目聞え給ひ(聞えさせ給ひ)−○
6行目哀なり(哀けなり)−○
9行目夢ばかり(つゆばかり)−×
ウラ12行目心をつくす(心をまよはす)−×
第6葉オモテ1行目をのつから(にをのつから)−○
11行目なてしこは(なてしこには)−○
ウラ4行目さたに(さたかに)−○
第7葉オモテ2行目さため(さたせ)−○
4行目給へきを(給つへきを)−○
5行目このみせさせ(このみをさせ)−○
ウラ3行目けふあまの(けふやあまの)−○
10行目むかへ聞え(むかへとり聞え)−○
第8葉オモテ9行目御かたち(この御かたち)−○
10行目はかりの(はかりのは)−○
第9葉異同ナシ
第10葉ウラ4行目御随身(御随身にて)−×
7行目まいらんと(まいらせんと)−○
(本学教育学部教授)