『男色木芽漬』解説
  田口 守

 「男色木芽漬」は、元禄十六年(1703)刊。全六巻中本書は巻六がなく、巻一が2冊ある。詳しくは「男色木芽漬一」(巻一・巻二・巻三の合冊)、「男色木芽漬一」(巻一のみ)、「男色木芽漬二」(巻四)、「男色木芽漬三」(巻五)の4冊である。購入の際、巻一の重複に気付かず、巻一から巻六まで全巻揃と考えていたかも知れない。作者、成立は巻一の序文に「漆屋園斎自然坊癸未弥生」とあることから、元禄十六年(1703)三月、漆屋園斎自然坊作と知れる。
 女色・男色物に「田夫物語」という仮名草子があるが、そこでは女色支持者を田夫者(田舎者)と言い男色支持者を華奢者(伊達者)と呼んでいる。女色・男色優劣論を問答体で展開し最終的には女色に軍配があがる。本書は衆道(男色道)の世界を24話にまとめて描き出した浮世草子である。井原西鶴の「好色一代男」が登場(天和二年・1682)してから21年、今本書を読むと「一生に念者一人、児一人」を理想とするなど、衆道も狭く堅苦しいものになっている。
 讃岐国の屏風浦は弘法大師の誕生寺が今に残っていて衆道(男色道)の垂迹の地として崇拝されていた。この寺の申し子児玉団三郎は誕生の時から女嫌いで、女が取り上げるなら生まれないとわめいたほどの女嫌い。女の乳を嫌って小姓の作る摺餌で育てられた。十五歳で元服、衆道の達人になりたいと石山観音参詣に出る。しかし舟で禅門に会い、石山寺は紫式部が女色の源氏物語を書いたところと聞き、鞍馬の毘沙門天に参詣することにする。その禅門は、誤って女色道に進もうとする団三郎を救うため毘沙門天が遣わした鞍馬の天狗だった。団三郎は毘沙門天に通夜し、毘沙門天から遣わされた美童子に会い深い契りを結ぶが、別れに際して童子は、衆道の諸相を書いた巻物を置いて行くから世間に広めよと言った。夢から覚めるとこの「男色木芽漬」が置いてあった、という。
 本書には、朱(一部黒)で加えられた頭注の形の評語がある。
 まずの巻一、「自然坊癸未弥生」に朱で「元禄十六年癸未」とあり、その他の評語を抜き出すと、
巻一 ○弘法大師ノ誕生寺ヨリ男木嶋ノ生レトハ所ヲエタリ(二のオ)。○児玉団三郎連続ヨシ(二のウ)。○鞍馬モ所ヨシ(三のウ)。○童子間作也(三のウ)。○初瀬ノ能家ヨイ出物ナリ。○狸が三体詩ナラヒニクルモ所ガラニテ連続ヨロシ(七のウ)。○七度手ノナイ徳利子アタラシ(八のオ)。○女ノ臍ニ覚ガデキテナド悪シ(九のウ)。○カケナガシノ人間白箸ノ翁連続ヨシ(十八のウ)。○粽を幣甲ノ似セモノトハ悪シ。○陰嚢ニメイズルトハトヨリ合ヨシ(十九のオ)。
巻二 ○三月の草餅とは面白し
 本書の価値は、現在知られている伝本が極めて少ないことにある。『国書総目録』(岩波書店刊)には元禄十六年版についての保有場所として、国会・関大(一冊)・東北大(巻五、一冊)・竜門(四冊)を挙げる。そうしたなかで、本書が巻一から巻五までを揃えている意義は大きい。
 なお、『日本古典文学大辞典』(岩波書店刊)は「男色木芽漬」を独立項目として立てている。そこでの解説(吉田幸一)は、話しに怪異性が見られること、士農工商の各階層の人たちに取材した男色物語を集めていることの二点を特色として挙げている。
(本学教育学部教授)
Last updated: 2001/3/29