『伊勢物語』解説
  田口 守

 本書は「伊勢物語」上下2冊。嵯峨本・古活字本。
 上巻には章段番号などの記入はないが、下巻には朱筆で章段番号と歌の出典が書き込まれている。いま上巻にも章段番号を補って読むと、第一段から第四十八段まで遺漏なく収められている。しかし下巻には錯簡が認められ、また1葉の落丁があり、補筆している。
 下巻は通行本の段序を大きく逸脱して第百十九段・第百二十段・第百二十一段・第百二十二段・第百二十三段・第百二十四段・第百二十五段(「伊勢物語」最終段)の7段を巻頭に置いている。続けて第五十段から第百十八段まで段序が乱れることなく続く。また末尾の百十八段の挿し絵は第百二十五段(通行本の「伊勢物語」最終段)と対応する。このことから、第百十九段から第百二十五段の計7段は本来巻末にあったものと知れる。いわゆる錯簡である。また下巻巻頭の第百十九段は、その前に第百十八段の歌を載せている。即ち、

      玉かづらはふ木あまたになりぬれば
         たえぬ心のうれしげもなし
  (百十九)
   昔女のあだなるおとこのかたみとてをきたる物どもを見て
   (以下省略)

しかも下巻巻末の第百十八段は歌を欠き、この「玉かづら」の歌に続けることで完全な姿が復元される。これらのことから極めて機械的な錯簡と知れる。
 ところで1葉の落丁は第四十九段であり、補筆された次の1葉を掲げると、

  (四十九)
   むかしおとこいもうとのいとおかしげなりけるを見をりて、
      うらわかみねよげに見ゆる若草を人のむすばんことをし
      ぞおもふ
   ときこえけりかへし
      初草のなどめずらしきことのはそ
      うらなく人をおもひける哉

これは袋綴本のウラかオモテに当たるから、挿し絵1葉を含んでいたはずである。それが上巻巻末にあったか、下巻第五十段の上にあったかは定かでない。しかし第五十段なら上記の綴じ違えと関わる位置であるから、本来下巻巻頭にあった可能性が高い。
 本書奥書には「慶長戊申(13年・1608年)仲夏上浣」とある。いわゆる慶長13年刊の嵯峨本である。「仲夏」は陰暦5月、「上浣」は上旬の意。嵯峨本とは慶長の後半期、本阿弥光悦及びその門流が京都嵯峨で出版した書物の一群で、文字・装丁・料紙などの美術的意匠の素晴らしさで珍重され、現在でも高価な値で取り引きされている。「光悦本」とも呼ばれ、出版に角倉素庵が関与したことから「角倉本」とも呼ばれる。
 本書も色褪せてはいるが具引きの淡青・淡紅の色変わり料紙を交え、また上巻の挿し絵全24葉中23葉の絵柄の一部が筆で丹が塗られている。本書は仮名書き本の木活字による印行の早い例で、しかもその意匠が美麗である点、貴重な一本と言ってよい。
(本学教育学部教授)
Last updated: 2001/3/29